はやぶさ2007
2007年夏、最後に残った、東京−九州間の寝台特急、「はやぶさ」「富士」乗車の旅に出ました。

往きの「はやぶさ」から。

まずは、乗車当日朝の上りを見に行き、牽引機のチェックです。当日は49号機でした。乗ってしまうと機関車はなかなか撮れないので、走行写真を押さえておきました。通過する客車を眺めながら今晩あれに乗れると思うと胸が高鳴ります。


さて夕方になり、いよいよ旅のはじまり。横浜から乗っても良いのですが、昨年の銀河のときと同様、東京入線から見たかったので始発からの乗車です。
当日銀河を牽くPFに牽かれ、ちょっと味気ないプッシュプル方式で東京駅10番線に入線。まあ夕刻ラッシュ時の東京駅に機回しのホームを空けておいてもらえるほどもはや寝台特急にプライオリティはないことは致し方ありません。

ちなみに親子3人の旅(下の双子は今回ばかりは妻の実家でお留守番。いつも我慢を強いられている上の子メインなので…)です。B寝台ソロ2室を取ったので上段、下段の両方を体験できました。

3号車のオハネ15 2002に乗り込みます。銀河に比べはやぶさ富士は入線から発車まで余裕があるのは長距離優等列車らしくちょっとうれしいです。


食堂車も車内販売もないという寂しい注意事項を聞いていると、汽笛一声もなく静かに発車。しかし発車は客レのそれです。やがて、この九州特急にこそふさわしいと、個人的には思う客車オルゴールで放送開始。詳しくは次の横浜発車後というアナウンス。
20-30年前の昔なら、ここで、混まないうちに早めに…と食堂車に向かうところですが、現実の夕飯は駅で買い込んだ弁当です。荷物を整理したり、明るいうちに66の「走行」を撮りにスハネフまで行ったりしているうちに、個室に戻って一息ついたら横浜です。現実のなかを行く非現実空間。夏休みの時期ということもあり、対向ホームではカメラを構えた人もちらほら。

横浜を出たところで、停車駅と到着時刻のアナウンスです。いまここを走る列車で九州の駅名を聞けるのは、この列車だけですね。そして大阪を出ると広島まで止まりませんという寝台特急らしいフレーズ。旅情がかきたてられます。窓の外に目をやると完全に日常生活空間。いつもこの列車を撮っている人道橋、トンネル出口、の光景が夕暮れの窓の外を飛んでいきます。ほどなく自宅最寄り駅、東戸塚通過。銀河のときと異なり、やっと日が暮れる時刻なので駅周辺は、まだまだ活気に満ちています。
そんな中を行く寝台特急の乗客になっていることがなんともいえません。

さてB寝台個室のソロですが、まず下段個室はこんな感じ。

座ると頭の上は上段個室のベッド部になりますが、やや圧迫感がある程度でそれほど気にするものではないように感じました。窓は小さめですが、電車寝台の上中段やプルマン式A寝台の上段の窓と比べると、十分大きな窓です。画像はありませんが個室の廊下側にも丸窓があります。カーテンは両側とも横引きカーテンでした。窓際の荷棚や折りたたみ式の比較的大きなテーブルなど部屋の使い勝手も上々です。

廊下部の天井裏は通常のハネのように荷物スペースになっていて大きめなバッグなど収納できます。普通のハネだとなんとなくこの廊下の天井裏は上段の人の管轄にあるような気がして下段だと利用しづらいのですが個室なので何の心配もなく荷物を置けます。
ベッドを座席として使うとき用に収納式の肘掛けが用意されています。
ベッド(シート)は、B寝台の下段と同じなのでもちろん3人並んで座れます。今回のように親子3人でソロ2室利用という奇特な利用をするとすれば、下段室がリビング(?)になります。3人入るとちょっと冷房の容量が足りないかも。冷風は4つの送風口から出てきて風量調整可能です。もちろん一人なら十分の冷房効果あり。



一方、上段室はこんな感じです。

窓側から廊下側を望むとこんな感じ。

廊下から引き戸を開けるとすぐ階段。階段上から入口を望むとこうです。

ベッドの階段部にはガードがつきます。ベッドの1/2〜2/3にはこのベッドガードがあり、足元は階段になるので、ベッドをシートとして座れるのは、一人。荷物置きや折りたたみテーブルなどは下段と同様。廊下天井裏の荷物スペースへの収納は、荷物を持ち上げなくてもよいので下段より楽です。ちなみにこの荷物スペースの奥にコンセントがありました。デジカメのバッテリ充電に使わせてもらいましたが、よじ登らないと手が届かない下段の荷物スペースにもこのコンセントはあったので乗客向けのものではないのかもしれません。

枕元のコントローラーは、こんな感じで、これは下段も同様です。かつてあった機能が廃止された痕跡のようなものもあります。

この枕元コントローラーは、上下段とも窓側にありますが、枕木並行に寝台を持つハネとオロネ25のA個は、両方とも廊下側枕・窓側足だったので、窓側枕のこの配置は珍しいと感じました。

冷房の効きは、吹き出し口がある天井が近いだけあって下段よりダイレクトに効く感じです。実際寝るときは4つある送風口のうち3つは閉じ、残る1つも絞っていましたが、十分でした。
このオハネ15 2000番台のソロですが、オリジナルオロネ25タイプのロネ個室に比べ料金半額以下、開放室と同額ということで、寝るのに必要最低限な広さの個室を覚悟していましたが、なかなかどうして、起きている時間帯の居住性も十分確保されていて、下段室に至っては、弁当をつついたりして、夕暮れから就寝時間までという長距離寝台特急ならではの時間帯を3人でそこそこ快適に過ごせました。絶対的な料金が高いか安いかは別にして、比較でいえば開放室と同じ料金というのはかなりお得に感じます。

さて、かつて何往復も走っていた寝台特急が千鳥に止まって補完し合っていた静岡県内の各駅を、一列車で賄うため熱海以降しばらくは頻繁に止まります。
例えば、記憶が正しければ、70年代後半の富士は静岡県内の停車駅は熱海、浜松のみ、はやぶさに至っては静岡のみだったはずですが、今回は、熱海、沼津、富士、静岡、浜松と停車。まぁ寝ている時間でもないし、今どこを走っているのかが解りやすいという意味では、せっかくの東海道在来線長距離列車だし、悪くはないかも。
静岡県走行の間、静岡駅発車後に、"この放送をもって本日最終の放送"というアナウンス。この放送も夜行列車ならではですね。しかも始発から3時間ほど経ってからというところが良いです。"明朝は徳山(あれ?下松だったか?)到着前まで緊急の場合を除き放送によるご案内はいたしません"、というフレーズを聞けることひとつにも、寝台特急の旅を感じます。
放送終了といってもまだ9時なので寝るには早いし、惜しい。というわけで2分停車の浜松で66の撮影を敢行!と思ったらホーム先端の停車で断念。次の2分停車の名古屋で再挑戦。やっと撮れました。ま、あんまり「撮れた」うちに入りませんが…。


岐阜停車、大垣を通過を眺めて、横になりました。こどもと一緒に上段室。70cm幅なのでこどもを寝かせたら、自分は横になれないだろうから、ハザばりに座って寝ることを覚悟してましたが、頭をお互いに反対側にすればなんとか横になれました。
京都にしては時刻的に早い停車は米原運転停車。半分夢の中で京都発車を感じ、しばらく走行。

ここで異変が…

どう考えても大阪まで走っていないのに停車です。不審に思い起きあがってカーテンを開けて外の様子を伺うとやはり駅間。この列車に問題があったのか、何かで抑止がかかったのか。停車理由が前者でここで運転打ち切りにでもなったらどうぢようと、ちょっと心配になりましたが、0時過ぎとはいえ、電車線上り下り列車線上りに一本も列車がこないのできっと何かの理由でこの辺の列車全部が止められているんだろうなと推測します。15分ほど停車の後、ガタンと発車。いったいどの辺だろうと、場所の特定のため暗い窓の外を必死に眼を凝らして見ていると、阪急京都線をオーバークロス。大山崎のオーバークロスです。やがて、山崎通過。上りの列車線には同様に足止めを食らっていたEF210牽引のコンテナ高速貨物が徐々にスピードを上げていきます。電車線の上りには、通勤客を乗せた、普通電車。

しばらくすると、上りサンライズとのすれ違いです。サンライズの前をいくEF210は、東戸塚あたりで銀河と併走してくる210だったのかも。

やがて、高槻通過。銀河の項でも触れましたが、関西圏でもっとも馴染みのある駅です。電車遅れのため、家路を急ぐサラリーマンが改札に向かっていました。こんな時間にお気の毒です。

その後、かつて夏休みに良く通った区間の夜中の様子を眺めているうちに大阪に遅れて到着。大阪発車後、2度目の淀川を渡ったところで就寝。

兵庫、岡山と夢の中でした。気づくとトンネルの音?山間を走っているように感じ、ひょっとしたらセノハチあたりまで来たかなぁと思い窓の外を見ます。夜が白々と明けかかる時刻ですが、場所の特定がなかなかできないうちに、やがて広島到着。やはりセノハチあたりで眼が覚めたようです。

未明の遅れは、そのまま引きずっていました。
廊下に出て、窓の外に目をやると、早朝の瀬戸内海。

山口県に入り岩国停車。岩徳線の電車でしょうか?103系が見えます。103系がローカル線を走っていることは、ありえる事だと納得できますが、高運転台車のローカル仕業にはにはなんとなく違和感を覚えます。

窓の外には、瀬戸内海の夏の朝の情景が続きます。とても気持ちの良い風景です。

この風景で朝を迎えられる寝台特急もこの「はやぶさ・富士」一本だけになってしまいました。

かつて連絡船が通っていたというところに掛けられた橋。大畠です。

やがて6時半前には、放送開始。実際には柳井到着後だったかな?13〜15分ほどの遅れを持ちながら運転をしているというお詫びから。放送によると、踏み切りの非常ボタンが押されたための停車で遅れているとのこと。また、徳山から弁当、サンドウィッチ、飲み物等の車内販売を始めるという朗報も。朝食は昨日買いこんで乗っているので心配ないのですが、熱いコーヒーが飲めそうというのは嬉しい誤算でした。

柳井、下松、徳山と山口県の駅をしらみつぶしに停車。これは、静岡と似た状況ですね。かつての下関あさかぜ並に止まっていきます。
広島と山口の県境あたりから繰り広げられてきた、瀬戸内海の風景も防府あたりで内陸に入るので、終了となります。かつての東京−九州間の寝台特急の朝といえば、「光る海」で、76年の旅と鉄道誌にも、夜行列車で是非楽しみたい風景に数えられていたので、乗車の最は絶対海側の風景を外さないことをお勧めします。

やがて、防府停車。高架駅となり、このあたりの駅ではここ20年ほどでもっとも印象が変わってしまった駅ではないでしょうか?実は思い入れがある場所なので、ちょっと降りて駅の様子を撮影。

小郡から名称を変えた新山口、宇部と停車。このあたりで、車内販売でコーヒーを求め、個室室内で迎えた朝にコーヒーという贅沢な時間を過ごします。

飯田線から旧国が全廃された夏、小野田支線に残ったクモハ42を撮りに行った折に、「みずほ」に乗ったのですが、「みずほ」にした理由は小野田を止まったからだっけと思いながら、宇部を出て小野田を止まらない今回の寝台特急に乗りながら思いました。小野田、厚狭あたりは、かつて「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1・3」…どれかは停まっていたことでしょう。

「はやぶさ・富士」は比較的頻繁に停まっていた山口県内も宇部を最後に、次は下関までとまりません。ここでEF6649の最後の力走をスハネフの窓越しに見に行ってみました。

やがて、東京を出て12時間半余り、約1,100kmの行程を経て下関に到着です。かつての寝台特急に比べ、かなりギリギリのダイヤが組まれているようで、EF66をもってしても、未明に発生した15分の遅れは遂に詰めることはできませんでした。高速貨物が行き交う夜中のスジは、もともとかなり立っていて余裕がないことが予想されます。

本州西端下関に着くと、東京から約1100kmを牽引してきたEF6649が切り離されます。毎日繰り返されていることとはわかっていても、たまに自分が乗ったときのこの解結は、達成感を伴うドラマのように感じます。

EF66が切り離されると、やがて関門の先導者が現れます。ステンレスの車体を期待したいところですが、西も九州も持ってないですね。
というわけでローズピンクの400番台、EF81410の登場です。あとから調べたところ、この400番台は一般型からの改造機で重連総括ができ暖房装置の一部撤去の改造を受けているようです。下関の下りでは、機関車を先頭から撮れました。頑張ればEF66も、客車がつながっているうちに先頭から撮れたでしょう。



関門間は、残念ながらHM無し。まぁHM受難時代を原体験にもつ自分の世代にしてみれば、このくらいやむなしと思えます。
下関を発車した列車は、右下に車両基地を見ながら高架をしばらく進み、やがて、開通65年を迎える海底トンネルに吸い込まれていきます。この関門トンネルをくぐるのは実に24年ぶり。トンネルも半分を越え上り坂になりEF81の6つの電動機が12両の客車を引っ張り上げるとトンネル出口、続いてデッドセクションを通過し、門司駅構内に進入。いよいよ九州上陸です。

わずか一駅、数kmですが旅行者にとっては大きな一駅です。
門司に到着後しばらくすると重要な一駅を担った交直流機が切り離されます。このとき、EF81はパンタがひとつ降ろされ、交流架線下らしい姿になっていました。

EF81が切り離されると真っ赤な交流機、ED76の登場。元鉄、国鉄ヲタにとって九州を実感する車両は新しい交流特急電車たちではなく、このED76ですね。

「はやぶさ」を牽くED76は、熊本でのHM付け替えを省略するためか、両側にHMを付けていました。このため客車連結面側でもHMが見られます。ちなみに門司では下り「はやぶさ」の先頭は撮れません。それだけに両側HMはありがたい運用です。九州独特の丸い面に、これまた九州独特の緑のはやぶさが赤い車体に映えます。


EF66の「富士・はやぶさ」、ED76の「はやぶさ」、ED76の「富士」のうちオリジナルのデザインを保っているのはこのED76の「はやぶさ」のみですね。「さくら」との併結列車になって以来、東京口では見られなくなってしまった「はやぶさ」単独マークを見るのは久々です。
門司では後ろ6両の「富士」を切り離し「はやぶさ」は6両の身軽な編成になり「富士」より一足先に出発です。

車窓から新しい関門の主、EH500を眺めたり、ステンレスのEF81300番台の姿をみつけちょっと感動したり、としているうちにほどなく小倉です。小倉を出ると次は降車駅の博多です。山口県内を頻繁に止まってきた「はやぶさ・富士」ですが、この小倉博多間ノンストップは旧き佳き時代並です。もっとも、それも時刻表上の話で上りは、いつのまにか「有明」に抜かれているのはご愛敬(下りも定刻なら「ソニック」に抜かれますね。)。しかしこの15分遅れのハンディをもった当日の「はやぶさ」は違います。のんびりダイヤの余裕を詰めるような力走。牽引機がED76になってからホイッスルをよく鳴らしてくれます。客車特急らしくて良いですね。25年前にED73に牽かれた「あさかぜ4号」に乗って以来に通る路を逆にトレースしていきます。朝9時を過ぎた時間帯に個室寝台で過ごすのも長距離寝台特急でこそできる贅沢な時間の過ごし方です。そんな個室ソロの旅もあと僅か。一晩過ごした部屋を離れなければならないのは名残惜しいことです。博多到着の前に車掌さんが個室のキーを回収しにきました。

ED76の力走でなんと、遅れは3分まで縮まりました。それだけに東海道山陽のダイヤはギリギリで九州内は余裕のあるダイヤだということができるでしょうが、当日のED76は本来の特急の走りをみせてくれたものと思います。博多到着前のアナウンスでも列車を優先的に通したため3分遅れまで回復した旨を伝えていました。かつての国鉄看板列車だった頃の東京発九州特急がもっていた威厳の片鱗を感じました。

東京を出て16時間余り、1100km超の寝台特急の旅は、長いようでもあり、またあっという間でのようでもありました。25年ぶりに降り立った博多の駅には、新鋭電車で溢れ返ってました。ここでも国鉄は遠くなってしまってました。

(復路偏に続く)